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江

お江さんってこんな人

お江は戦国時代の武将浅井長政と、織田信長の妹お市との間に三姉妹の末っ子として生まれました。名前は小督(おごう)、江与(えよ)など、様々な説があります。長女の淀殿(茶々)は豊臣秀吉側室、次女の常高院(初)は京極高次正室です。

2度の離婚を経験したあと、3度目に後に江戸幕府代2代将軍となる徳川秀忠と再婚して、正室として3男5女をもうけました。
江戸時代は400年に渡って続いていきますが、徳川将軍御台所(正室)で将軍生母となったのは、江だけでした。死後は長男で3代将軍の家光によって増上寺に埋葬されています。

茶々・初・江の浅井3姉妹は、戦国一数奇な運命をたどった姉妹として知られます。3人ともに戦国一の美女といわれる母・市の美貌を受け継いだ美女で、幼い頃から大変仲の良い姉妹だったようです。

お江さんのエピソードって?

  • 身分が高く歴史的にも重要な人物ですが、意外にも容貌・性格などを含めた人物像を伝える確たる史料はほとんど残っていません。市の娘・信長の姪・淀殿の妹・浅井三姉妹の末子であるということ、夫・秀忠との関係から、小説やドラマなどでは美人でプライドが高く、ヒステリックで嫉妬深い性格の女性として描かれることが多いようです。
  • 夫の秀忠は江と結婚して以降、浮気はあったものの、正式な側室は1人も持ちませんでした。江が秀忠より年上で秀吉の養女という立場であったため、律義な性格の秀忠は頭が上がらなかったとされています。
  • 江戸幕府第3代将軍・徳川家光の母、第109代明正天皇の外祖母、第124代昭和天皇以降の皇室の先祖でもあります。
略歴
天正元年
(1573年)
小谷城にて、浅井三姉妹の末娘として誕生。同年、浅井氏が滅亡し、母や姉らとともに信長に保護される。
天正10年
(1582年)
本能寺の変。母お市が柴田勝家と再婚し、越前国北ノ庄城へ移る。
天正11年
(1583年)
賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に敗れ、北ノ庄城が落城、秀吉に保護される。
天正12年
(1584年)
佐治一成へ嫁ぐも、同年一成が秀吉の怒りにふれ、離縁。
文禄元年
(1592年)
秀吉の甥、秀勝の元へ嫁ぐが、文禄の役で秀勝が死去。
文禄4年
(1595年)
秀吉の養女となり、徳川秀忠に嫁ぐ。正室として三男五女をもうける。
寛永3年
(1626年)
江戸城にて没。享年54歳。

お江さんの縁スポットはココ!

西久保八幡神社

西久保八幡神社

徳川秀忠の正室となって5年後、関ヶ原の戦いが起こります。その時お江は3人目の子を身ごもっていましたが、夫・秀忠と舅・家康の必勝祈願のためにここを訪れていたといわれています。
戦勝と身の安全を祈願したお江は関ヶ原の合戦後、そのお礼としてこの神社の社殿を造営しました。
芝大神宮

芝大神宮

1614年、大阪の役の際にお江が戦勝祈願したのが地下鉄大門駅から歩いてすぐのところにある芝大神宮です。祈願にはお江本人ではなく、後に三代将軍となる息子・家光の乳母であった春日局が代参し参詣しました。
増上寺

増上寺

54歳でその生涯を終えたお江は、徳川家の菩提寺増上寺に埋葬されています。
お江が眠る徳川将軍家墓所は境内の北西に位置し、6人の将軍と、5人の正室、5人の側室、歴代将軍の子女たちが埋葬されています。現在の墓所は戦災で焼失した旧徳川家霊廟を改葬したもので、夫の秀忠と共に、一つの石塔に祀られています。
東京タワー

東京タワー

現在東京タワーが建つ地もお江と縁の深い場所です。ここには秀忠が江戸城からカエデを移植し、お江のために築いた紅葉山があったと言われています。